Sunday, April 10, 2011

05/03 主役は誰?社会で通用する人材の育成

主役は誰?社会で通用する人材の育成

編集委員 近藤和行


 安定志向、草食系といった最近の新入社員評のほかに、企業社会では「新人が育たない」という声も良く聞く。

 愚痴めいた批判が当たっているかどうかは別にしても、各種調査を見ると、若い世代で「ハードワークを通じて自己実現を」といった意識が薄れているのは事実なのだろう。

 「まったく今どきの若い者は」といった古い世代の感情論から、「大学教育が悪い」や「いや、家庭のしつけの問題だ」といった責任転嫁まで、その原因を巡る意見はさまざまあるようだ。

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 産業能率大学総合研究所で社員教育を研究している渡邊真太郎さんは、企業に「育成力」がなくなってきたのがその原因、という意見だ。

 人員削減で人を育成するだけの余力がなかったり、誤った成果主義により、課長や係長クラスは「タスク(課題)」の処理能力は高まっても、人材の運営管理は留守になっているケースがあるという。考課表の課長が達成すべき業務から、「人材育成」の項目が抜け落ちていた会社もあった。

 もちろん理由は、それ以外にもあるだろう。しかし、1990年代以降、組織のフラット化を進めてきた企業社会でも、トヨタ自動車がいったん廃止した「係長」の役職を復活させるなどした。組織や運用を修正する動きが強まってくるのだろう。

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 時代の変化とともに、企業が試行錯誤するのは健全な動きなのだと思う。むしろ大学側の動きが心配だ。

 就職氷河期を反映してか、都内の有名私立大学でも、就職対策や就職後に役に立つことを意識したカリキュラム構築の動きがあるという。先日パネリストとして出席したある大学のシンポジウムでも、「社会需要に合わせた人材教育」がテーマのひとつになっており、少し違和感を覚えた。

 「職場や社会はいかなる人材を求めているか」といった視点から、大学教授が論じているケースもよく耳にする。

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 渡邊さんは、個人の能力は、大きく分けて「基本的能力」と「状況適応能力」の2つがあると整理している。

 後者は、状況に応じて自ら主体的に問題を解決する応用能力で、これは経験と他人との関わりからしか学べない。主にOJTから得られる能力だろう。

 前者は、仕事をしたり、生きてゆくうえで必要な基本知識やたたずまいが中心だ。多くは大学時代までに、相当程度は取得すべき力だと思う。

 日本の大学教育に求められるのは、今でも、その後の飛躍の土台となる高度な基礎知識や、幅広い興味や関心の基礎となる「教養」であるような気がする。つまり前者だ。

 今の時代、大学が「象牙の塔」のままであっていいはずはないし、各大学の問題意識や努力は評価したい。でも、企業社会の要望に配慮しすぎた改革努力なのではないかと、少し心配になる時がある。

(2011年3月5日 読売新聞)

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