Sunday, April 10, 2011

09/04 復旧・復興へ 「想定外」に備え英知の結集を(4月9日付・読売社説)


 ◆大津波と原発事故の教訓を生かせ

 東日本大震災発生からひと月になる。7日には最大震度6強の余震があり、大規模な停電が起きた。被災地の方々には、気の休まることのない、長くつらい日々であろう。

 亡くなった人、行方不明の人は2万7000人を超えた。

 避難所には最大時46万人が逃れた。水の引いた自宅に戻ったり親戚宅に身を寄せたり、他県に集団避難したりして徐々に減ったが、なお15万人余が残っている。

 関係自治体は、今後も被災者との連絡を密にし、住まいや物資、医療、就業などあらゆる面で必要な支援を続けてもらいたい。

 復旧作業は進むが、膨大な瓦礫がれきの撤去は長期戦が見込まれる。高台に仮設住宅の建設も始まった。必要戸数を早急に確保したい。

 「災害に強い街へよみがえらせる」ことが復興の命題となろう。津波被害と東京電力福島第一原子力発電所事故を検証し、「想定外」の事態にも屈しない万全の対策を講じておく必要がある。

 今回の大津波は、その高さと破壊力において、沿岸部の自治体、住民たちの「想定」を上回った。

 ◆巨大な防潮堤も破断

 専門家の調査によると、津波の高さは三陸沿岸の多くの地点で10メートルを超え、岩手県大船渡市は23・6メートルに達した。岩手県宮古市では、津波が街の斜面を標高37・9メートルの地点まで駆け上がった。

 津波常襲地帯と言われる三陸沿岸の自治体は、ハザードマップを作り、避難訓練を重ねてきた。過去最大級の津波再来に備え、防災計画の練り直しもしている。

 宮古市の「田老たろう万里の長城」など、巨大な防波堤や防潮堤が湾の入り口や港に設置されているのも、この地域の特徴だった。

 堤防が街と住民を守ったところもあるが、多くは破断し、多数の住民がのみ込まれた。

 地域再建を目指す上で重要なのは、「想定外」の津波であっても生き延びた事例に学ぶことだ。

 大船渡市の越喜来おきらい小学校では、津波の際に素早く避難できるよう校舎2階から高台への道路に非常通路を設けていた。校舎は全壊したが、全員が逃げて助かった。

 鉄筋コンクリートのビルは多くが残った。津波に耐える強度があり、緊急避難先に使える30メートル超の中層ビルを増やしてはどうか。

 菅首相が言うように、住民は高台に住み、低地の勤め先や漁港などへ通勤するといった全く新しい街づくりも検討課題となろう。

 今後、被災地の各所で専門家を交えて調査し、教訓を学び、生かしてゆく必要がある。

 ◆全原発の安全点検急げ

 「想定外だった」では済まされないのが福島第一原発事故と、政府、東電の対応である。

 地震の揺れは耐震設計の想定を2割以上も上回った。どんな被害があったのか、検証が必要だ。

 東電は津波を最大5・7メートルと想定していた。実際には10メートルを超え、非常用電源がすべて使えなくなった。原子炉の核燃料冷却のための水が送れなくなり、燃料棒が露出した。

 専門家は、平安時代の869年にこの地域が広範に浸水した貞観じょうがん津波の再来を予測し、2年前、福島第一原発の想定津波の見直しを政府に強く迫っていた。

 国会でも、大津波で福島第一原発などの原子炉冷却システムが機能しなくなる恐れはないか、という質問が幾度か出ていた。

 原発の安全確保には「想定外」を放置しておけない。国内54原発のうち東北地方以外の40基も、速やかに安全確認を行うべきだ。

 経済産業省は、すべての原発で、電源車や消防車の配備など緊急安全対策を今月半ばまでに完了させるよう求めた。

 これらは今回同様の事故の再発を防ぐ応急措置に過ぎない。事態の沈静化後、事故原因を究明し、津波被害の想定などを各原発で根本的に見直すことが不可欠だ。

 ◆できる支援をしよう

 「被災地から遠く離れた所にいる私たちに何ができるだろう」

 このひと月、繰り返し自問した人は少なくあるまい。大切なのは被災者、被災地を忘れず、自分にできる支援をすることだろう。

 義援金を送るのもいい。ボランティアに行くのもいい。東北産品を率先して買うのもいい。明るく元気に、ふだん通りの生活を続けることも大切だ。

 道のりは険しいが、日本は必ず強くなって立ち上がる。そう信じ、前を向いて歩いていきたい。

(2011年4月9日00時59分 読売新聞)

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