Wednesday, September 21, 2011

天声人語 2011年9月21日(水)付印刷

 花火は遠いのに限ると書いたのは、独文学者の高橋義孝さんだ。両国の川開きの夕、師と仰ぐ内田百けん(けんは門がまえの中に月)宅に招かれた折のこと、なぜか障子がぴたりと閉めてある。酒の合間の短い沈黙を狙ったように、トントントトーンときた▼その趣に打たれた高橋さんは、見えるが音なしの遠花火にも触れる。「郊外の畑の向(むこ)うの、はるかかなたの夜空に、ぱっと拡(ひろ)がる花火も味のあるものだ」と。欠けた情報を心で補う時、想像の大輪はしばしば現実を超える▼さて、想像力が過ぎるのも考えもので、愛知県日進(にっしん)市の花火大会で福島製の花火だけが外されたという。「放射能をまき散らす」などの苦情が、復興を後押しする催しに水を差した▼花火工場の放射線は十分に弱く、品は屋内に置かれていた。漠たる不安への感度はそれぞれだろうが、これはもう風評被害というほかない。一部の異論に折れた主催者に、情けない思いを抱いた市民も多かろう▼とはいえ、やれば叱られ、やらねば叩(たた)かれ、どちらにしても角が立つ。これでは自治体も、福島を応援する企画に二の足を踏むことになる。被災地を支える決意と、心配を丁寧に取り除く気配りが、これまで以上に求められる▼朝日歌壇に、京都から鮮烈な一首が届いた。〈桃買うを迷いてポップ確認す「福島」とあり迷わずに買う〉中野由美子。手書き広告の産地名に店の心意気を感じ、思わず手に取る人がいる。被災地の産品を気負いなく買える日まで、絆を欲する遠花火に耳を澄ましたい。

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