Tuesday, April 12, 2011

11/04 東日本大震災:計画的避難区域指定(その2止) 住民ストレス重く

農and食

 ◇見えぬ放射線に不安--浪江

 全域が計画的避難区域に指定された福島県浪江町。海に近い中心部はこれまでも福島第1原発から20キロ圏の避難指示区域だったが、西端は退避の必要のない30キロ圏外だった。とはいえ当初から放射線量は高く、住民は恐怖と闘ってきた。

 「べこ(牛)らの鳴き声が『早く処分してくれ』と訴えているように聞こえる」。そう話す紺野英治さん(60)は、浪江町津島地区で黒毛和牛を育てる畜産農家。親牛18頭に子牛14頭。うち4頭は、震災後生まれた。

 同地区は、福島第1原発の北西約30キロ。屋内退避圏(原発から20~30キロ)の境界線上にある。紺野さん宅はぎりぎり圏外だが、8日に行われた県の調査によると、30キロ圏内にわずかに入った町立津島小で毎時23・0マイクロシーベルトと、県内で最も高い放射線量を観測した(避難指示区域除く)。

 紺野さん宅近くの幹線道路脇にはカッパや衣類が散乱している。30キロ圏の境界にあたるため、圏内に一時帰宅した人々が放射性物質を防ぐために着ていたものを脱ぎ捨てていくらしい。地元住民にもマスクもしない普段通りの格好で農作業をする人がいる。「30キロ圏から外に出ればすぐ安全になるのか」と、ずっと疑問だった。

 津島小は避難指示区域で見つかった遺体の安置所にもなっている。そこからの放射線も気になる。

 地区は800~1000メートルの山に囲まれた谷筋。福島第1原発近くで海に注ぐ請戸(うけど)川の源流域だ。原発ができた40年ほど前、知り合いの原発作業員に「放射能漏れがあったら、お前の所は危ない。山に阻まれた放射性物質が落ちてくる」と言われたことがある。真偽は不明だが、その言葉が何度も頭に浮かぶ。

 「そういう一つ一つのことが重なって、時々どうしようもない不安に襲われる。雲の中を突き進んでいくような気持ちだ」。ストレスのせいで体重は地震以降、18キロ減った。標準値だった血圧も最高値が185まで上がったという。

 紺野さんは毎日、約20キロ離れた避難所から牛舎へ通っている。慎重を期し、タイベックと呼ばれる防護服、カッパとゴム手袋、防護マスクを付ける。飼料を与え、ふんを片づける。早朝から夕方まで、ぐっしょり汗をかきながらの作業だ。

 だが、おそらく牛にはもう商品価値がない。「いろんなことが後手後手で、振り回されるのは結局住民だ」と憤る。「べこもだいぶこけ(やせ)てきて、かわいそうだ。でも、放射線量は日によって違う。せめて最後までうまい餌を食べさせてやりたい」【市川明代】

 ◇準備区域指定3町村「全住民避難、まだ続ける」

 屋内退避指示圏内が緊急時避難準備区域となる福島県広野町、楢葉町、川内村は、役場が町村外に移転する「全町・全村避難」を続けている。

 内陸部の同県会津美里町に役場を移した楢葉町は「住民が安心して住める状況になったわけではなく、避難は継続する」(企画課)と説明。川内村の井出寿一総務課長は「名前が長くなっただけで今までと変わらない。村としてはこれまで通り村民に自主避難を呼び掛ける」と語った。

 広野町の自宅が屋内退避指示圏内にあり、同県いわき市の施設に避難している高木幸一さん(61)は「何も説明を受けておらず、よく分からない」と困惑した様子。自宅は住める状態にあるが「放射能汚染の状況が不明なので、今すぐには戻れない」と話した。

 一部が準備区域になる田村市には11日、松下忠洋副経済産業相が訪れ方針を説明。屋内退避指示圏内に941人が住むが、市が用意した2カ所の避難所に移った人はいない。

 準備区域にならなかった、いわき市の災害対策本部職員は「政府から事前に説明はなかったようだ。会見後、対応を検討しようとしたら震度6弱の余震が起き中ぶらりんの状況」と話した。【北村和巳、福永方人、堀智行】

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