Sunday, March 27, 2011

26/03 asahishimbun - 天声人語

2011年3月26日(土)

 「これほどの範囲で風景が消え、物理的にも精神的にも全てが一気に奪われるとは」。建築家、安藤忠雄さんの慨嘆だ。土地の人が慣れ親しんだ景色は、変わるという手順を飛ばして眼前で消えた▼森進一さんの「港町ブルース」で、〈……あなたの影をひきずりながら/港 宮古 釜石 気仙沼〉と歌われた良港たち。リアス式海岸に連なる街は、いく手にも分かれて湾を駆け上った津波にえぐられた▼寒流と暖流が出合う三陸沖は、世界有数の漁場として知られる。豊かな魚種と漁法から、地元の漁師は「本物のプロが育つ海」と自負していた。遠洋、近海、沿岸の漁、養殖に水産加工と、持ち味が違う港町が「おさかな文化」を育んできた▼最近まで本紙の石巻支局長だった高成田享さん(63)は、同僚たちと三陸の海の幸を取材した『話のさかな』(荒蝦夷〈あらえみし〉)に書いた。「ひとつひとつの魚には、漁の仕方があり、旬があり、民話や伝承があり、調理法や保存法がある」。そうした無形の財までが、命と一緒に流されたのではないか▼陸前高田市の女性がテレビで声を震わせた。「みんな、もう海辺には住まないって。海なんかいらないと」。潮風に背を向けるように、関東の内陸県に身を寄せた被災者も多い▼命がけの仕事の成果だけをいただく東京の魚好きが、勝手を言える状況ではない。それでも、海岸線の長さでロシアに迫る海洋国家として、大漁旗が帰る浜をまた見たい。海と共存共栄するあの三陸、どうか取り戻してほしい。消費者、漁師仲間、きっと同じ思いだ。

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