Monday, April 4, 2011

04/04 岐路に立つ電力文明―持続可能な暮らし求めて

 昨年亡くなった梅棹忠夫氏が半世紀前に著した「文明の生態史観」は日本を「高度文明国」の一つと位置づけている。

 「巨大な工業力」「全国に張り巡らされた膨大な交通通信網」「豊富な物資、生活水準の高さ」「高い平均年齢、低い死亡率」などがその特徴である。

 現在まで、日本はその文明に磨きをかけてきた。豊富で安定的に供給される電力こそが、その必要条件だった。電力は国力であり産業、生活の源だった。

■原発神話から脱する

 電力需要は戦後、ほぼうなぎ登りで増え続けてきた。高度成長が終わり、安定成長を迎え、デフレ経済といわれるようになっても衰えをみせなかった。

 一世帯当たりの月間電力消費量も1970年の3倍近くに。エアコンにパソコンにインターネット、トイレの便座……。電力は暮らしを支えた。オール電化なる言葉もあった。

 その電力供給が滞るなど、ほとんどの人が想定しなかった。

 原子力は優等生に見えた。「国際情勢の影響を受けず安定供給できる」「石油と違い二酸化炭素(CO2)を出さない」として電力全体の3割を担い、さらに増やす計画もあった。

 慢心が生まれた。旧ソ連チェルノブイリや米スリーマイル島のような深刻な事故は、日本では起きないという不倒神話だ。

 2004年12月、大地震に伴うインド洋大津波という前例があった。福島原発の周辺地域でも、過去に大津波が襲来したという指摘もあった。しかし結果としては無視されてきた。そして「想定を大きく超える津波」(清水正孝東京電力社長)に、原発はあまりにもろかった。

 歴史に学ぶのは難しい。日本がしたたかに味わった苦い経験を思い出す。90年代以降に頻発した多くの金融破綻(はたん)である。

 それまで銀行はつぶれぬものと言われた。起きてはならないことは現実に起きない。だから国有化や公的資金注入の仕組みもなかった。しかし、あり得ぬことが現実になって最悪に備えた制度や法律が整備された。

 神話を捨て、現実を見据えるほかなかったのだ。

■災害が変えた世界史

 原発の神話の克服はこれからである。事故処理に手間取り、最悪のケースも覚悟するような破局的事態。他方、残った電力だけでは、生活も産業も、これまで通りを維持することはできない。さらにその残りすら、なお原子力頼りという危うさだ。

 自然災害は、人と文明に大きな変化を促すきっかけになることがある。阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター長の河田惠昭(よしあき)さんが著書「津波災害」で二つの例を紹介する。

 紀元前2000年ごろから同1400年ごろ、地中海クレタ島などで栄えたミノア文明は大噴火で発生した大津波が原因の一つとなって衰退したという。

 1755年、リスボンを大津波が襲った。死者6万2千人から9万人。列強の中でポルトガルの弱体化が進んだ。

 ただ、この経験が、神学的な世界観を転換させ、近代的、自然科学的な思考を育む契機になったという指摘もある。

 私たちは大きな岐路にいる。原子力に大きく頼るままの電力文明にしがみついて生きていくか。それとも、別の文明のかたちを追求していくか。

 原発がこれほどのもろさを露呈したいま、依存しない、あるいは依存度を極力小さくした社会を構想すべきでないのか。

■自然生かし効率よく

 CO2を出す化石燃料依存へと、単純な先祖返りはできない。ならば太陽光、風力、地熱など再生可能な自然エネルギーを総動員する必要がある。

 従来型の電力供給システムの弱点もはっきりした。地方に巨大な発電所を集中させ、離れた大都市の需要を賄わせる仕組みでは、事故があったときの影響の拡大が甚だしい。

 分散して電力を生み出し、それを出来るだけ近くで消費してロスを少なくする「地産地消」の取り組みを強めたい。

 効率よく電力を使う工夫も欠かせない。サマータイムなど、地域ごとにエネルギーの消費時間をずらすことができないか。

 東電など全国9電力体制の存続には疑義がある。小回りの利く発送電が出来る自由化や再編が必要だ。東日本の危機に西日本から都合出来る電力は余りに小さい。東西の周波数の違いも放置できない。

 さて、梅棹氏はこうも言う。

 「すべての人間の共通の望みがあるとしたら、『よりよいくらし』ということに違いない」

 しかし際限なく「よりよいくらし」を求めた結果、文明の限界が見えてきた。もはや私たちの世代だけが、豊かで楽しく、を求めるわけにはいかない。

 いま思う。少ない資源を分かち合い、持続可能な形で、地球を子孫に残す共生の道、すなわち「より人間らしいくらし」にこそ希望があるのではないか。

 道は遠いが、はじめよう。

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