Monday, April 4, 2011

04/04 余録:センバツ閉幕

 高校球児の聖地・甲子園球場の起工式が行われたのは、1924(大正13)年3月11日のことだ。元は河川の敷地だった土地に建設を進め、8月1日に完成する。えとの甲(きのえ)と子(ね)の組み合わせとなる60年に1度の縁起のいい年だったので、一帯を甲子園と名付け、球場の名前にもした▲外野席下にある歴史館では、そんな球場の沿革を告げる年表や写真を展示している。この舞台で繰り広げられた春夏の高校野球の名勝負や名場面も、記念品や映像で振り返ることができる▲83回を数える今年のセンバツは東海大相模の優勝で幕を閉じた。東日本大震災という国難に直面する中、議論を重ねたうえで、少しでも被災地の励ましになれば、と開催した大会だった▲被害の大きな仙台市から出場した東北の試合を観戦した。三塁側の東北アルプス席は友情応援の人で埋まり、「がんばれ!東北」の小旗が揺れる。ブラスバンド演奏は控えられたが、熱い声援が銀傘にこだました▲入場口や球場前に響いたのは、地元のボーイスカウトのメンバーや高校生、大学生らによる募金呼び掛けの声だ。昨日も足を運んだが、それは同じだった。前と違ったのは、球場前の桜が咲き始めていたことだ。選手も関係者もファンも被災者に心を寄り添わせ、できることを精いっぱいやった12日間だった▲甲子園の起工式が行われた87年後の同じ日に襲った未曽有の天災は、日本の日常風景を一変させた。だが、思いやりや助け合いを忘れない日本人の心まで変えたわけではない。特別な年の特別なセンバツは、そんなことを私たちに教え、甲子園の歴史に特別な一ページを書き加えた。

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